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第1章 1989年11月、清水ータウランガ

その年始めて西高東低の冬型の気圧配置のなか、私達は清水を出航した。

しかしいきなり吹かれては困る。まだ慣れていないからだ。 最大50ノットの風は手強く、初めての本格的な時化の中、ワッチも決まっておらずに辛い夜を過ごした。 夜が明けて辺りの様子が見え始めると次々に襲いかかろうとする巻き波を何とはなしにかわしていく船の姿に関心する。

この船の名はディクテイター、42フィート、ニュージーランドのカウリでできたストリッププランキングのレーシングボートだ。その年行われたオークランド、博多レースに出場し、この秋ニュージーランドに帰る事になった。スキッパーはブライアン、ピータンセン、クルーは岡村邦弘、松永香、根上幸也、そして私の5人だ。

ごく少量の燃料漏れをおこし父島に寄り修理する。原因は銅のパイプがバルクヘッドに摩れ燃料が染み出て来ていたのだった。一泊だけしてグアムに向かう。グアムでゴムボートがボンという音と共にゴミになり、ブライアンは新しいのを買った。

トラックは珊瑚の島、禁酒の島だ。しかし酒は簡単に手に入るが水は難しい、知り合った日本人に分けて貰ったのだが、もし誰かに尋ねられたらディーゼルだというようにいわれた。水は貴重品なのだ。

生まれて始めて赤道を通りソロモンに着く。 ホニャアラはソロモンの首都で立派なヨットクラブがあるのだが道路は舗装されておらず、自動車よりトラクターの方が役に立つ様だ。

ニューカレドニアで偶然会ったブライアンの知り合いの女の子も乗り込んでニュージーランドのタウランガにクリスマスイブにつく。私はクリスマスをタウランガで過ごしブライアンの友人の船に便乗して オークランドに向かう 。

何日かぶりでみんなに会い日本への帰りの飛行機の切符を買う。行きは2ヵ月、帰りは2日の旅だった。
   
スキッパー、クルーと新しいディンギー
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ソロモンの子供達
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