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第4章 1997年夏、清水ーサンフランシスコ |
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私は叔父に10万円の借金を申し込む。海図は岡村が使ったやつだ。食料は玄米を中心に積み込み、すべての準備を終えた時に12万円、50ドルの現金をもっていた。ちなみに現金以外は持っていない。たばこは一箱だけだ。
しかし不思議な物だと思う。2週間前は今年の太平洋は無理と諦めていた私が一本の電話で蘇ったのだ。 私はこの時準備を簡単に済ませねばならなかった。アメリカ大使館に行くが良く解らない。結局ビザは無しで7月20日にサンフラン・シスコに向け旅立った。
航海の初めはとことん疲れる。準備に追われるし、体も出来ていないせいもある。三陸沖に差し掛かった頃にまた、台風ができ近づいて来た。もし台風に会うのなら少しでも力が落ちてからお会いした方がいいと思い北寄りに針路をとる。ラジオの台風情報を聴きながら普段は祈りもしない神様に祈る。そうして思うと私が神様に祈る時はほとんど台風の時だ。となると私の神様は台風と言えるかもしれない。異様に赤い朝焼け、夕焼けを見せ台風は紀伊水道を通り日本海に抜けた。最初の山を越えた。山ではなく海だった。
霧の深い朝、エンジンの音で目を覚ます。錆びのういた漁船が近ずいてきた。透明の大きな電球をたくさん付けている所をみるとイカの船の様だ。どんどん近ずいてくる、そして私の船を周りだした。しかしデッキには誰もいない。緊張して様子を伺う。中国の船の様だ。今だ人影がない、2周り程して去っていった。いったい何だったのだろう。金目の物でもあったら海賊にでも変身するつもりでもあったのだろうか。なくてよかった。
船は走る。日付け変更線が近ずいた頃、1mもあろうかと思われる鮪が引きずっていた10cmのビニールのイカに食いついた。苦労して上げる。千葉の漁師と話した時の事を思い出す。200kgもあろうかと思われるカジキマグロを上げてきた70歳を越した漁師がいった。「これを魚だと思ったらあがんねぃ、金だと思うのさ」。
風はどんどん上がり時化模様となり今までにない振動が現われる。船は小さなセールでよく走る。気圧計の針はまだ下がる。終わらぬ時化はないし神に祈る程ではない。私に出来る事は適切なセール面積で走ることだ。それ以上になったら・・・。
久ぶりに発電の為にエンジンをかけようとしてエンジンボックスを開けて驚く。エンジンが泣いている。様に見えたがエギゾーストから海水が逆流してヘッドの中に入ったと気づくまでにそう時間はかからなかった。 こんなときは焦ってはいけない。まず状況を考える。近くにぶつかる物はないので時間はある。クランク室に海水が入っていたら厄介だと思いながらオイルを調べると大丈夫だ。デコンプを引き手動でクランクを回すと海水が溢れ出る。
サンフランシスコにアプローチする時航海灯が使えないと厄介だと思ったがなんとか再スタートできた。手のひらは一皮むけた。後ろ、斜め後ろからの大風が続いたの時は気をつけなければならない。
久ぶりに見たのはファラロン島の灯だった。霧のサンフランシスコは霧もなく助かった。初めて見るアメリカ大陸は赤土に覆われハゲた大地だ。幸い潮、風ともにフォローですんなりとゴールデン・ゲートをくぐる事が出来た。そのままのコースで着き当たった所、バークレー・マリーナに船を着けた。 |
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太平洋のサンセット |
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バークレーマリーナ |
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